2021/08/13
岡ビル百貨店
OKA building department store.
昭和33年、東京タワーと同じ年に建てられ、
しかも当時の姿のまま営業され続けてきたと言う
超貴重な存在「岡ビル百貨店」があった。
屋上に神社がある珍しい駅ビルでもある。
(一般人は屋上には入れない)
実を言うと愛知県岡崎市は私の地元で、
しかも小さい頃、私はよくこの駅を
使っていたのでかなり縁深い場所である。
ずっと「もう閉店するのでは」と
いわれ続けていたこの駅ビルが、
ついに2021年5月31日を最後に、
本当に閉店するとの情報を聞き、
これは地元民として最後に行かねばと、
そのためだけに最後の日、
愛知まで車を走らせた。
現地で地元の友達と合流し、
なんか昔は見慣れすぎて何も思わなかったけど、
改めてみると昭和レトロだよなぁ…。
この電球で囲ったようなデザインや、
表のように並んだ、光る店案内がたまらないね。
あったような気がするが、最後まで残っていた店は
こちらのメガネ・宝飾屋さんと他数件だった。
宝飾屋さんでは閉店セールをやっていたので、
食べたいと思っていたが、
2階のこのお店は貸切になっていた。
身内や常連さんなどで
最後の日を楽しんでいたのだろうか。
この扉が最高すぎるんだが…!!!
おそらく「あかんやつ」と思われるこういうのが
ザ・昭和な感じでめちゃくちゃいいんだよな~
だってこんなのJRの綺麗な駅ビルじゃ
昔からあるお食事処「こも」があり、
ここでお昼を食べたいと思っていたのだが、
失ったものは二度と戻らない。
もっと早く来ていれば…後悔しかない。
一度ココの料理をちゃんと味わいたかった。
実を言うと、私がこの駅をよく使っていたのは
小~中学生のころまでで、高校は田舎の高校で
チャリ通だったため駅はあまり使っておらず、
そして私は高校生でバイトを始めるまで
お小遣いをもらえなかったため、
この駅ビルで、本を買ったり、
「こも」でご飯を食べられる友達を
羨ましいと思っていたのだ。。
そんなわけで、実はこの岡ビルの2~3階の
思い出と言えば、待ち合わせで
時間が余った時ブラブラしたり、
友達の付き添いで回った記憶しかなく、
「こも」に唯一行った記憶も
友達が食べていた記憶はあるんだけど
自分が食べた記憶がないんだよな…
自分の記憶を語ってしまったが、
気を取り直して見学を続ける。
3階はずいぶん前から「こも」以外の店は撤退し、
当時、中心地として栄えていた、
この駅ビルの華やかな時代が想像できる気がする。
綺麗に掃除されていた。
いかにも古いビルの階段という感じだ。
「関係者以外立入禁止」だったので
服などが飾られていたような気もする。
今はチラシやポスターが貼られているが
ショーウィンドウ上の「岡ビル百貨店」の
最先端だったであろう光るお店案内。
よく見ると季節ごとの色んな花だ。
写真の色褪せ具合が
禁煙・禁腰掛・禁飲食」
というわけで、東岡崎駅は
よく使っていたけど、
この2〜3階の「岡ビル百貨店」には
あまりちゃんと来た覚えがなかったので
今更ながら新鮮だった。
なんとなく、「百貨店」らしい
「家康公手形」
小さい女性の友達の手で
ぴったりなくらいだったので
併設している。
東岡崎駅で降りる人が多いため、
「ひがおかまで我慢すれば座れる」
などと思ってたものだ。
中学校はここまで歩ける距離だったため、
バス代を貰って電車で帰り
バス停よりだいぶ遠い駅から歩いて帰ることで
差額をコッソリ貯めたりしていたなぁ。
雨の日でも濡れずに渡れる
近代的な空中廊下ができていた。
そしてその新しい商業施設には
オシャレなカフェやレストランが
たくさん入っていた。
あまりいい思い出を思い出せない
東岡崎駅だったのだが、
改めて大人になってから見ると
子供の頃は見慣れすぎて気付けなかった
魅力に気付けて本当によかった。
古い貴重な建物がなくなってしまうのは
残念だけれども、最後に来れて
本当に良かったなぁ。
昔ながらの古い団地も、
ついに建て替えが決まり
この団地は取り壊されるらしい。
こうして地元の風景も、
私の知らない間にどんどん
変わって行くのだなぁ。
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